2017/04/24

写真を撮る前に知っておきたいワジェンキ公園ショパン像の歴史

5月から9月までの日曜日の午後、ワルシャワ市内にあるワジェンキ公園ではショパンコンサートが開催されます。天気のいい日は美しい緑とやさしい光の中で美しいピアノ曲を楽しむことができるワルシャワの名物です。
バラのシーズンには上品なピンク色やフレデリック・ショパンと命名された淡いイエローの花と香りもステキ。2017年は5月14日から9月24日まで毎日曜日正午と午後4時の予定です。(演奏者情報はこちら→ポーランド政府観光局のブログ
さて、みなさんは実はこの像が完成するまでには長い苦難の歴史があったことをご存じでしょうか?前代ショパン像(戦時中に破壊されたもの)ができるまで、そして再建に至るまでの流れについてちょっと時間があったので書いてみました。


ショパン像ができるまで


ショパン像製作の話が出てきたのは1889年。この年はショパン没後40年ということで、それをきっかけにというお話だったのです。しかし当時のポーランドは三国分割の時代であり、ワルシャワを統治していたロシア政府は、ポーランド人の愛国心を煽るショパンの存在は厄介でその像の設置を喜ぶはずはありません。、時が過ぎて1901年。アデライダ・ボルスカというポーランド人女性オペラ歌手がロシア皇帝ニコライ2世よりショパン像設置への同意を口頭で賜ります。これによって、翌年1902年1月1日にロシア総督府からショパン像設置委員会設置の認可が下りたのです。
1908年にデザインの選定がコンペで行われポーランド人彫刻家ヴァツワフ・シマノフスキの案が選ばれました。当時このショパン像は現在のワルシャワ蜂起広場(Plac Powstańców Warszawy)に設置される予定だったそうです。

彫刻家とデザインの選定はしたものの、ロシア政府に案が認められるための条件には帝立ペテルスブルク美術アカデミーの承認が必須になっていました。シマノフスキの案はこの美術アカデミーで没になり、ロシア国務省はアカデミーがNGというならばとショパン像設置を不認可としました。
「芸術性が欠ける、とりわけ柳や水際の蛙について芸術性が欠ける」ということが不許可の理由。
このままでは暗礁に乗り上げてしまうという焦りから、建築家で文化遺産修復の専門家でもあったオスカル・ソスノフスキが、シマノフスキの原案の土台部分と池とさらに問題となった不自然なカエルの像を変更した設計を準備し、さらにシマノフスキ自身も柳の木の形に手を加えて改善案としてました。
この新設計図をなんとか再提出したものの、ショパン像設置委員会がペテルスブルクに送った書類は美術アカデミーと国務省の間を行ったり来たり、相変わらず認可は下りないまま時間ばかりが費やされてゆきました。それに業を煮やした委員会はペテルスブルクに乗り込んでいき、皇帝の叔母のマリア・パヴロヴナ大公妃に面会して美術アカデミーの承認取り付けを請願し、さらにこの大公妃の力添えがあったおかげでニコライ2世はショパン像設置認可を正式に認めたといわれます。
ヴァツワフ・シマノフスキは像の完成を急ぎましたが、第1次世界大戦の勃発と同時期に鋳造を依頼したフランスの鋳物会社が倒産するなどの不運が続き、像の完成は新生ポーランド共和国が誕生してからに持ち越されることになったのでした。

ショパン没後40年の年に設置の話が始まって以来、気の長くなるような過程を経てようやく1926年11月14日に除幕式の日を迎えたのでした。

ショパン像の破壊
やっと完成したショパンの像がわずか13年半の後に侵略者の手によって破壊の憂き目を見ることを、幸か不幸か製作者のシマノフスキは知ることなく1930年にこの世を去りました。
第2次世界大戦中ポーランドを占領したナチス・ドイツによって1940年5月31日、爆破され、バーナーで金属屑にされたショパンはドイツに送られました。
さらにドイツ軍は全国の美術館にあったこの像のレプリカもことごとく破壊しました。シマノフスキがポズナンの博物館に寄贈していた1/2サイズの木製像と石膏像も同じ運命をたどり、唯一、頭の部分の模型だけはヴィエルコポルスカ地方博物館の地下倉庫に保管されて終戦を迎えることができたそうです。
ショパン像はワルシャワ市内で破壊された最初の像ともいわれ、それはポーランド人の愛国心を煽るショパンへの憎悪のほか、総督がいたベルヴェデル宮殿からワジェンキ公園のショパン像は目と鼻の先にあったということ、また当時ドイツ第三帝国に向けて金属屑が再利用のために送られるようになったことも理由なのではと言われています。

戦後の再建
戦後、ショパン像の再建を目指して完全なレプリカ探しが始まりましたが、戦時中にあらゆる模型が壊されていたことから作業は難航しました。最後に瓦礫となっていたシマノフスキの家から1/10サイズの像が偶然発見され、それと戦前の写真や写真測量法という技術を用いて像の再建が始まりました。
こうして今日ワジェンキ公園で出会えるショパンは1958年に完成しました。
この像の下にピアノを設置して日曜日にショパンの音楽を楽しめるワジェンキ公園ショパンコンサートは1959年に始まりました。毎年5月半ばから9月末まで12時と16時に開催されます。

いかがでしょうか。観光客でにぎわうワジェンキ公園のコンサートですが、柳の下で物憂げな表情を見せるショパン像が設置されるまでの歴史を知るとピアノの音色が一段と感慨深く感じられるかもしれませんね。


2017/04/02

世紀末の美女デイジー・フォン・プレス公爵夫人の軌跡 vol.2  クションシュ城


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            クションシュ城公式サイトhttp://www.en.ksiaz.walbrzych.pl/


南西ポーランド、ヴロツワフの南に位置するヴァウブジフ市は世界遺産シフィドニツァの平和教会からも近い小都市です。この町にマルボルク城、ヴァヴェル城に続き、ポーランドでは3番目に大きな城があるので見学してきました。名前はクションシュ城。
建物を見てわかる通り、ここの歴史は長いです。始まりは13世紀後半から。
ボルコ・スロヴィ公が数多く建てた城砦のひとつとして着工したクションシュ城は1392年までピアスト家が所有していました。そして約百年後の1497年にチェコ王ヴウァディスワフ2世ヤギェロンチクが宰相ヨハン・フォン・シェレンベルクに城を払い下げ、1508年にはヨハン・フォン・ハウグヴィッツが短い間オーナーとなりました。しかし間もなく、翌年6月にはホッホベルク家のコンラート1世に譲られることになります。このホッホベルク公爵家が1941年のナチスによる強制接収までクションシュ(ドイツ名フュルステン)城の主となったのです。


クションシュでは18世紀の初めから40年近くをかけて増築工事が行われ、この時代にみごとなバロックスタイルの翼ができあがりました。度重なる改築工事の中でも、1907年からハンス・ハインリヒ15世が行った大工事はクションシュ城の最後の大改修となりました。この間、西翼、北翼が完成しています。そびえる塔は高さ47メートルを誇っています。

 



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1891年12月にこのハンス・ハインリヒ15世は、のちに公爵夫人デイジーと呼ばれて親しまれたマリア・テレサ・コンウォール=ウェストと結婚しました。二つの大戦と戦間期を生きた貴婦人デイジーはクションシュ城の歴代のミストレスのなかでも波乱み満ちた人生を送った女性として知られています。第1次世界大戦のときは、傷病兵を敵味方関係なく自らの手で看護をしたというエピソードも残っています。城内にはホッホベルク公爵家に関する展示も充実しています。

     
デイジー・フォン・プレス公爵夫人
     

ホッホベルク家はナチスに対する抵抗の姿勢を崩さず、長男のハンス・ハインリヒ17世は英国軍、そして弟のアレクサンデルはポーランド軍でドイツと戦いました。
城を接収されデイジーはヴァウブジフに移り、1943年にそこでひっそりと亡くなりました。その後彼女がどこに埋葬されたのかは謎でまだはっきりしていません。

第2次世界大戦のさなかには、クションシュ城にベルリンから疎開のために送られたプロイセン王家の蔵書などが保管されていたこと、また1943年にはナチスが秘密基地の建設に取り掛かり、ちょうど城の地下にあたる場所に約1km続く地下トンネルが掘られたこともわかっています。
この通路がどういう目的で造られたのかについては研究家からさまざまな意見が出ていますが、実際にはどうだったのかまだはっきりしていません。エレガントな室内はまるで砦のように荒々しくむき出しの壁が目立つ状態にされてしまいました。
戦中戦後を通じて城の調度品は価値あるものから持ち出されてしまった上、その後がない間だれにも顧みられることもなく、かつてのクションシュ城は想像もできないほど荒れ果ててゆきました。
しかし1956年から県による修復工事が行われるようになり、1991年に城の管理は地元ヴァウブジフ市に移管し、現在はドルヌィ・シロンスク地方の屈指の名所としてフェスティバルやコンサート等のイベントが開催されて多くの観光客が訪れる場所となっています。

ドルヌィ・シロンスク地方の東方に位置するシロンスク地方(中心都市はカトヴィツェ)にはこの城の最後の女主人デイジーが愛したプシチナ城やプロムニツェの狩猟館など公爵家ゆかりの歴史的建造物がいくつも残っています。



クションシュ城へのアクセス 

ワルシャワからヴロツワフまで電車で約4時間。ヴロツワフからヴァウブジフまでローカルバスや地元の民営バスを利用して約1時間半。市バスの8番(Zamek Książ方面行き)に乗り換えて終点で下車。


おすすめ

城の庭園。ここからは城の側面が見えて、正面からとはまったく違う印象。また、少し離れたところから城を横から撮ると絵になります。
宿泊城の敷地内にホテルが3軒あります。
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Hotel Zamkowy
Przy Oślej Bramie
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Hotel Książ
 

レストラン
城の正面入り口より少し手前左側にあるレストラン・ブラマ(Brama)ではランチやティータイムを楽しめます。

世紀末の美女デイジー・フォン・プレス公爵夫人の軌跡 vol.1 プシチナ城



ポーランド南部のプシチナPszczynaという小都市には美しい古城(ミュージアム)があります。実際に富裕な大貴族が戦時中まで住んでいた大規模な館で、内装やインテリアに関してもここまで保存状態が良いものはポーランドにおいては希少です。
さて、その博物館ですがポーランド語でMuzeum Zamkowe w Pszczynie。訳せばプシチナ城博物館でしょうか。いかにも宮殿のような外観を持つこの建物は元々が城塞的な役割を持った建築であったことからポーランド語城(Zamek)と呼ばれています。
シレジア地方のこのエリアを200年にわたり領有してきたドイツ貴族プロムニツ家の城だったものが、建築当初の平凡な中世の城から改築工事で優美なルネサンス様式に変わっていったのでした。
1738年に大火事に見舞われ、さらなる修復工事によって今度はバロック様式を採用し、そして最後の大改装と増築(1870年から76年)の際にはフランスの宮殿建築を模倣し、今ある形になったのです。

多くの同様の宮殿や城が戦災にあった第2次世界大戦中もほとんど被害を受けず、1946年から博物館として公開されています。
このプシチナ城にある家具・調度品の80%がもとからここにあったもので、先ほども述べたように同様の歴史的建造物が大戦とその後に進駐してきたソ連軍によって破壊され、価値ある調度品や家具が略奪されたという憂き目にあっていることを考えれば、このプシチナ城がほぼ無傷で残ったことの価値は非常に大きいといえるでしょう。

城の周囲には48ヘクタールの緑豊かな庭園が広がり、富裕な貴族の居城としての風格が感じられます。いつ訪れてもすてきなミュージアムですが一番のおすすめはアザレアの美しい6月と一面に紅葉が広がる10月です。

この城に住んでいたホッホベルク・フォン・プレス公爵夫人デイジー。
ビクトリア朝からエドワード朝時代の屈指の美女と言われた。
19世紀末から20世紀初頭の大貴族の生活をイメージできる一枚。
こちらから公式サイトに移るので、まずは写真だけでもごらんください。
バーチャルツアーでは歩くようにオンライン見学できます。

 

 

 

 

 
プシチナ城博物館


開館時間 ※チケット販売は閉館1時間前まで



1月 -3月 4月- 6月 7月- 8月 9月- 10月 11月
休館 11-15* 11-15* 11-15* 休館
11-15* 9-16 9-17 9-16 11-15*
9-16 9-17 9-17 9-17 9-16
9-15 9-16 9-17 9-16 9-15
9-15 9-16 9-17 9-16 9-15
10-15 10-16 10-17 10-16 10-15
10-16 10-17 10-18 10-17 10-16
  • 入館無料は4/1-10/31は月曜日、11/1から3/31は火曜日
  • ガイドなしの個人入館者のみ対象
  • 入館人数制限があります。(10分ごとに10名のチケットを販売します)

    見学できるのは次の部屋のみになります。
  • ヴィルヘルム2世の間
  • 城主の居室(Aparatament Pana Domu)とデイジー公爵夫人のサロン(Salon ks. Daisy)を除く2階の部屋

休館日:

  • 12月~1月まで
  • 復活祭第1日目 (2017/4/16, 2018/4/1),
  • 聖体節 (2017/6/15, 2018/5/31),
  • 11/1, 11/11
  • 1~3月および11月の月曜日


2017/04/01

ポーランド・ウッチ - 光の祭典Light Move Festival


去年の10月に仕事でポーランド中部のウッチŁódźLight Move Festivalというイベントを見に行ってきました。
リヨンなどほかにもこういった光のイベントを行う都市はあるでしょうが、このウッチのLight Move Festivalはただ光の祭典というだけでなく、ポーランド第3の大都市ウッチの歴史と町の歴史と表裏一体の関係にある4つの文化が作り上げた産業遺産をライトアップ。3Dの効果を活かした幻想的な光のマジックをたっぷり楽しむことができます。
もともとは一寒村であったウッチは産業革命期からポーランド、ドイツ、ロシア、ユダヤ資本により劇的な発展を遂げ、近郊からの労働力の流入によって、最近までポーランド第2位の人口を誇る工業都市(繊維産業)でした。
市内にはこの街に投資した大富豪たちが残した産業遺産、建造物(特にアールヌーヴォー期の建造物群がそのままの形で残るピォトルコフスカ通り、まるで宮殿のような大富豪の邸宅、霊廟)などのスポットがあり、歴史、文化、グルメなどテーマのある旅におすすめ。

今年は2017年9月29日~10月1日に開催予定です。

イベントの会場はヴォルノシチ広場pl. Wolnosciやピォトルコフスカ通りul. Piotrkowska近辺。



ワルシャワからのアクセスは鉄道でもバスでもOK。日帰りもできる距離。
その他の都市からも鉄道や長距離バスでの接続があります。

アクセス: 電車・バスの路線検索はこれが便利→www.e-podroznik.pl

宿泊: 産業遺産を改築した一度は泊まってみたいホテル:
andel's by Vienna House Lodz ****
Loft Aparts ****
Hotel Tobaco Łódź  ***
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以下は歴史的建造物ではないですが、ロケーションのよさと部屋の快適さでおすすめできるホテル
Novotel Łódź Centrum ****



昨年度の動画です↓