2014/10/13

純羊毛フェルトのルームシューズがカワイイ





今日はポーランドグッズのお話です。

南ポーランドのザコパネに行ったときに、こんなルームシューズを買ってきました。これががとっても優れものなのです。前に「恋する雑貨」というNHKの番組でもこの商品が紹介されましたが、靴の仕上げや刺繍やボンボンまで手作りで、靴裏はあめ色の革が張ってあります。
ザコパネに行くとおみやげ屋さんがたくさんあってあちこちで羊毛のシューズやフェルトのこれに雰囲気の似た安いものが売られていますが、靴の素材と仕上げを見るとこちらのクオリティの高さが一目瞭然です。値段も3倍ぐらいはします。
お店の人によれば、これが一番質がよく、長持ちで、秋から初夏まで使えてお得だそう。

素材は脱脂をしていない純羊毛製のフェルト。

で、実際に使ってみて150%満足です。真冬のフローリングでも靴底の革とフェルトが2層になっていて床の冷たさを感じませんが、適度な通気性があるため汗をかいて不愉快というようなこともないので確かに3シーズン使えます。

おみやげに何がおすすめですかと尋ねられたら、ご自分用になら間違いなくこれをおすすめしますね。この靴はザコパネ近辺でなくても、ちょっと高くなりますがCepeliaという各都市にあるお土産物屋さんに置いてあることもあります。まずはぜひ手に取ってごらんになってください!

2014/10/07

カルパチア地方の木造教会群 スモルニク Smolnik












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2013年に世界遺産に登録されたカルパチアの木造教会群のひとつであるスモルニクの東方典礼教会は、ウクライナとチェコ国境線に近い、ポーランドの秘境にある。


このスモルニクという土地は、第2次世界大戦後に一時ソ連領となっていた村だが、 1951年にポーランドに返還された。その際にはこの土地の住民はリヴィウに 強制移住させられ、村の建物はすべて解体されてしまい、無人状態での返還だったという。

だが、1791年築のこの教会は無事に残った。 戦前にこの教会が修復されたのは、1921年で、その際には主に屋根をトタンに葺き変える工事が中心であった。51年に信徒たちがこの土地を去ったのち、教会堂は農業共同体の倉庫として利用されるなどして、かえりみられないまま風雪にさらされてきたのであった。
そして1969年に修繕工事が再び行われ、4年後の1973年からはローマカトリック教会として再び利用され始めた。 内部の東側の東側の壁には18世紀末の 多彩装飾壁画が残る。教会自体は国道から400メートル程はなれた小高い丘の上に静けさにつつまれて佇んでいる。


カルパチアの豊潤な自然と静寂の世界の美しさをたっぷり堪能できる秘境にあるといってもよいだろう。建物の東側には19世紀に設置された墓地があり、その向こうには羊たちがのんびりと草を食む。なんとも牧歌的な景色である。

教会堂は木を組み合わせて作られており、入り口部分の前室、身廊、内陣の三層構造で、土台は石造りとなっている。 教会のなかにはいると、天井に角を利用したシャンデリアがあり印象的だが、多彩装飾画以外はその昔を感じさせてくれるものはあまり残っていない。 なんとなく湿気た木のにおいがする。


逆光をいっぱいに受けてしっぽをぴんと上に立てた猫が白黒のふんわりとした毛を震わせながら入ってきて、見学者の足元にまとわりついてくる。「キチキチ…」とポーランド風の呼びかけをするとぐるぐるといいながら怖がる様子もなく近寄ってくる猫だった。



                    

2014/10/03

ヴィエルコポルスカ地方のエレガントなシャトー「ゴウフフ城」

西ポーランド、ヴィエルコポルスカ地方にあるゴウフフ城はとてもエレガントで優美な外観を持つシャトーです。  
                                

ゴウフフ城
-16世紀半ばにブジェスコ・クヤフスキェ県の知事ラファウ・レシチンスキによって築かれたこの城は、もともとは複層構造の城塞でした。
上から見ると4方の角に塔がある四角形をしていましたが、後年になり増改築工事が行われて、1619年にはルネサンス・マニエリスム様式の瀟洒な館となったのでした。

 1695年にレシチンスキ家はこの館を手放すことを決めて、その後150年間の間につぎつぎと所有者が変わりました。そしてこの美しいゴウグフ城は、十分な手入れもされることなく荒れ放題となり幽霊屋敷のようになってしまったのでした。
 それが1856年になって、貴族ティトゥス・ジャウィンスキが新婚の息子夫婦のために購入しました。これを機に大改修工事を行い、ゴウフフ城はかつての優美な姿を取り戻したのです。
ジャウィンスキ家に嫁いできたのは名門チャルトリスキ公爵家の令嬢イザベラ・チャルトリスカ(写真)でした。
                                                       
彼女はパリのランベール館で亡命ポーランド知識人たちの擁護者となっていたアダム・チャルトリスキ公爵の娘でした。洗練されたパリの芸術に触れて育ち、美術に対する深い造詣を持つ美貌の貴婦人であったといわれています。そんな大都会パリからヴィエルコポルスカ地方の田舎にやってきたイザベラは地元貴族たちとの付き合い、風習となじめないことが多く、次第に周囲から孤立して行きます。
 さらに政略結婚であった夫ヤンとの間にも隙間風が吹きはじめたのを感じたイザベラは、少女時代から好きだった美術品のなかに心の癒しを求めるようになりました。美術品の一大コレクションを居城の中につくることに情熱を注いだのです。
 そんな折、ヴィエルコポルスカ地方では一月蜂起が勃発。この蜂起に夫のヤン・ジャウィンスキ(写真右)が関わりをもち、反政府運動の資金を相当提供していたことがプロイセン当局に発覚。彼は死刑の判決を受け、パリへ亡命し5年間の間身を隠しました。
 プロイセンによるゴウフフ城の接収を免れるために、イザベラは城の名義を自分に変更して、女らしい感性がたっぷりと盛り込まれた大改修工事に着手。パリのノートルダムやアミアンの大聖堂の修復を手掛けたフランスの建築家ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュクやジグムント・ゴルゴレフスキのスケッチなどをベースにして10年後の1885年にやっと工事は完了しました。
 ゴウフフ城の美術品の数々は、第二次世界大戦前には個人コレクションとしては世界でも有数の規模といわれていました。1939年の時点では当時の100万ドルの価値があったと言われますが、第2次世界大戦によってコレクションはあちらこちらに流出しまい、現在は古代ギリシャの壺やアンティーク家具調度品を中心とした美術館として公開されています。  
 城の周囲に広がるのは126ヘクタールの広大な英国庭園で、ここにイザベラの墓碑があります。この城の美しさからドラマのロケが行われたり、優雅な雰囲気をたっぷりと味わえるコンサートなども開催されています。美術品への愛に生きたイザベラ・ジャウィンスカという女性に思いを馳せながら、庭園を散策してみるのもいいかもしれません。                                                                                                             
ゴウフフ城美術館
公式ホームページ  
バーチャルツアーはこちらから (←美しい冬の景観が楽しめます)

Działyńskich 1, 63-322 Gołuchów
開館時間: 火曜日~日曜日 10時~16時
アクセス: ポズナンのバスターミナル.からゴウフフまで2時間15分(9:30より1時間から1時間半に1便程度運行)