2014/12/20

世界遺産ヤヴォルの平和教会を訪れて



ポーランドの南西部のドルヌィ・シロンスク地方にヤヴォルJaworという街があります。

ここにある木造教会は平和教会と言われ、2001年に同じくドルヌィ・シロンスク地方にあるシフィドニツァ
Świdnicaの平和教会とともにユネスコ世界遺産に登録されました。
車を降りて公園のような場所を横切って行くと平和教会が見えてきます。
質素な外観からは想像もつかない豪華な内装に訪れる人はだれもが驚くのではないでしょうか。この教会、なんと6千人を収容することができます。席には番号がついていて、昔は遠くから礼拝にやってくる信徒たちが座る場所を確保できるようにとこの番号で予約制になっていたそうです。なかでも多額の寄付をした富裕な市民のための特別席は説教台正面の2階に用意されていました。

ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会が建てられたのは17世紀半ばのこと。ボヘミアのプロテスタント教徒の反乱をきっかけに勃発した三十年戦争(16181648)後のことでした。ウェストファーレン講和条約(1648年)に基づき、オーストリア皇帝は、ドルヌィ・シロンスク地方のプロテスタント教徒たちに破壊をもたらす戦争と宗教紛争終結の省庁として「平和教会」を建てることを許可しました。ただし伝統的な教会と同じような構造は許可されず、建材は耐久性のないものでなければならず、市壁に備え付けられた大砲の射程距離内に位置していなければなりませんでした。木材、藁、粘土を利用したハーフ・ティンバー(木骨)造りの建物が出来ました。木造建築の教会としてはヨーロッパ最大です。
外から見ればシンプルな造りですが内部はバロック様式で豪華絢爛。ただしこれだけの空間があると
冬になると寒さが非常に厳しく、冬期の礼拝は入口から右手奥にある小さな別室で行います。

冬は見学も団体で事前予約のあるグループのみなので、個人で見学を考えている方は気を付けた方がよいでしょう。
 
ヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフ(焼失)の3カ所に福音アウグスブルク派教会が建てられ教会の奥にある階段を上がると上階にパイプオルガンがあります。
ちょうどこの日、ポズナン旅の見本市で知り合いになったヤヴォル市役所の方が一緒だったので
特別にオルガンを弾いてもよいと許可をいただきました。
弾くとは言ってもピアノとは全然勝手が違うので、ちょっと音を鳴らしてみただけなのですが、これまで数えきれない数の信徒たちがこの空間でオルガンの音色に耳を傾けたのだろうと思うと感無量でした。


イメージ 2  イメージ 3

ヤヴォルの平和教会ホームページ  http://kosciolpokojujawor.pl

Kościół Pokoju  w Jaworze
【所在地】
Park Pokoju 2, 59-400 Jawor
☎/FAX: ( +48 76 ) 870 32 73E-mail: jawor@luteranie.pl

【見学時間】
4月1日~10月31日 10:00~17:00
日曜、教会の祝日12:00~17:00
11月1日~3月31日は6名以上の団体で事前予約(遅くとも1日前までに)がある時のみ見学可
教会の歴史についての説明は日本語版もあり、お願いすれば流してもらえます。


2014/12/09

クラクフの冬の風物詩はショプカコンクール




 クラクフの冬。12月のクリスマス市も最近有名になってきましたが、それよりもっと古くから続いているのがショプカのコンクールです。
 ショプカと言ってもなんだかよくわからないと思うので、今年のコンクールの動画を紹介します。
小さくてかわいらしいものから、人の背丈もありそうなものまでまるで童話に出てくる教会かお城のような感じがしますよね。
 このコンクールは毎年12月の第一木曜日に開催されています。コンクールの当日にはクラクフの中央広場のミツキェヴィチ像の周辺にみんなが作品を持ち寄り、最優秀作品を選ぶというものです。
 もともとこのコンクールが始まったのは1937年のことで、当初は冬場に仕事がない大工さんなどの内職みたいなものだったとか。今ではポーランドの誰もが知っている冬の風物詩となっています。素材はアルミホイルや銀紙、金紙など色彩豊かなキラキラと輝く紙です。

 華やかな色で彩られた作品はクラクフの歴史的な建物とキリスト生誕の模様をテーマにしていて、その輝きが近づくクリスマスを感じさせてくれます。

2014/11/09

11月11日「聖マルチンの日」にはロガルをお忘れなく


 11月11日はポーランドの建国記念日であるほかに、西部の都市ポズナンでは聖マルチンの日として親しまれています。この日にはRogalロガルとよばれる三角型のクロワッサンに似たお菓子Rogal świętomarcińskiをいただくのが習慣になっています。

 このロガルはEU内でも土地の名産品として製造できる地域が決まっていて、レシピは域外不出(?)だそうで、ポズナン以外で食べられるのは国際見本市やイベントでロガルを焼ける菓子職人が一時的に他都市に行ったときのみとロガル作り半世紀というホテルメルキュールの老パティシエが教えてくれました。



50年前から大切に取ってきたロガル作りのためのノート。
師匠のパティシエから学んだことをしっかり書き込んでいるそうです。

 製造ライセンスも毎年作品を作って審査う受けて更新というほど厳格に製法が守られているのです。そして、この日に出来上がるロガルはなんと約500トン!ロガルには重量規定があって1個の重さは150~250gの間でないといけないそうです。それを外れるものはロガルと呼ぶことができません。手に取って見ればクロワッサンとは比較にならないほどずっしりきます
。なかに入っているのは白いケシの実やアーモンドなどをベースに作ったペーストです。

 ロガルとは角を意味します。まだポーランドがキリスト教を受け入れていなかった古代スラブ人の時代にさかのぼると、秋祭りで神々に生贄として雄牛や、牛の角の形をした焼き菓子をささげていたそうですが、その後、カトリック教会が聖マルチンにまつわる伝説と結びつけて広めました。

おじいちゃんから孫まで同じ味の思い出があるホテルメルキュールのロガルは大人気。
ポーランド各地に住む家族・知人に送りたいポズナン子の注文もたくさん受けているそう。

 上の写真にあるような形のロガルが登場したのは1891年のことでした。
この年の11月11日が近づいたある日、ポズナンの聖マルチン教会で司祭をしていたヤン・レヴィツキは、恵まれない人々に聖マルチンにかかわりのある何かを施しに配りたいと考えました。
礼拝で司祭の話に共感した菓子職人が協力して作ったのが「聖マルチンのロガル」というわけでした。
 当時は、地元の富裕層が購入して貧しい人たちに配ったそうですが、その伝統はポズナンの人々の善意に守られ、二度の世界大戦の時代を乗り越えて今日まで受け継がれています。

2014/11/07

世界遺産「カルパチア地方の木造教会群」(スモルニクの大天使ミカエル教会 Cerkiew św. Michała Archanioła w Smolniku)

先月末にポーランド南東部ポトカルパツキェ県のビェシュチャディ山麓にある木造教会を訪れました。

このスモルニクSmolnikに最初のユニエイト教会である大天使ミカエル教会Cerkiew św. Michała Archanioła w Smolnikuができたのは1672年のこと。
ただし、この年にモンゴル軍の進撃により焼失。その後、再び教会堂が完成したのは1世紀以上たった1791年になってからのことで、現在内部に残る多彩装飾画は19世紀のものといわれます。


この地域からは国境線の変更によりウクライナ系住民が旧ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移住させられるなどして人口が減って行きましたが、1951年までずっとユニエイト教会として機能していました。信徒たちはウクライナに移送される際に教会の鐘やイコンなど価値あるものをここから持ちさってしまったため、この教会堂内部には文化的価値を持つものがほとんどない状態となってしまいました。そして、その後は国営農場の藁を備蓄する倉庫として利用されるなど、粗末な扱いを受け続けました。1956年には歴史的ユニエイト教会建築群のリストに登録され、さらに1969年には文化財として登録され、この年から翌年にかけて1921年の改修工事で金属製にされた屋根をもともとあったこけら板の屋根への葺き替えを行いました。
1974年にカトリック教会の小教区ができてからは、カトリックの礼拝に使用されるようになり、内部の改修工事が行われました。しかし、外部の大規模修繕は2004年にやっと着工して翌年に完成したので、良く考えてみると工事が完了してまだ10年ほどしか経っていないわけです。

ここの教会には、このエリアのマイノリティー「ボイコ人」の建築様式がよくわかる例といわれます。身廊、内陣、前室の3つから構成されていて3つの屋根は同じ高さですが、横幅には顕著な差があります。身廊の幅が一番広くなっており、3つの寄棟屋根の上に十字架を備えた玉ねぎ型の屋根部分があります。

元々あったイコノスタス(ユニエイト教会や東方正教会で聖所と至聖所を分けるイコンが描かれた壁)はユニエイト教会の活動が止まってから壊されてしまい、教会内壁にある多彩装飾画の一部のみがユニエイト教会時代のものとなっています。

道路から丘の上まで細い道を進んで行くとと一番上にこの教会があります。
道路の幅は3.5トン車程度で限界に見えます。大型バスは無理。
教会の前に車を止めるスペースがあります。

横から見ると屋根の高さがほとんど一緒

     前室から身廊へ 



1951年以前から残っている数少ないエレメントのひとつが天使がいるこの多彩装飾画




夏は葉があるのでこの角度から撮るのは難しそうですね。


教会の中に人懐こい猫が入ってきていました。


ふわふわのブチネコちゃんは近くの牧場に住んでいるのだそうです。
ものすごく人間に慣れています。

ポーランドの猫をみたらキチキチと声をかけてみてくださいね。
ポーランドでは猫を呼ぶときに「ニャー」じゃなくてkici,kiciと声をかけるので、どんなほとんどの猫がこの音に反応します。

2014/10/13

純羊毛フェルトのルームシューズがカワイイ





今日はポーランドグッズのお話です。

南ポーランドのザコパネに行ったときに、こんなルームシューズを買ってきました。これががとっても優れものなのです。前に「恋する雑貨」というNHKの番組でもこの商品が紹介されましたが、靴の仕上げや刺繍やボンボンまで手作りで、靴裏はあめ色の革が張ってあります。
ザコパネに行くとおみやげ屋さんがたくさんあってあちこちで羊毛のシューズやフェルトのこれに雰囲気の似た安いものが売られていますが、靴の素材と仕上げを見るとこちらのクオリティの高さが一目瞭然です。値段も3倍ぐらいはします。
お店の人によれば、これが一番質がよく、長持ちで、秋から初夏まで使えてお得だそう。

素材は脱脂をしていない純羊毛製のフェルト。

で、実際に使ってみて150%満足です。真冬のフローリングでも靴底の革とフェルトが2層になっていて床の冷たさを感じませんが、適度な通気性があるため汗をかいて不愉快というようなこともないので確かに3シーズン使えます。

おみやげに何がおすすめですかと尋ねられたら、ご自分用になら間違いなくこれをおすすめしますね。この靴はザコパネ近辺でなくても、ちょっと高くなりますがCepeliaという各都市にあるお土産物屋さんに置いてあることもあります。まずはぜひ手に取ってごらんになってください!

2014/10/07

カルパチア地方の木造教会群 スモルニク Smolnik












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2013年に世界遺産に登録されたカルパチアの木造教会群のひとつであるスモルニクの東方典礼教会は、ウクライナとチェコ国境線に近い、ポーランドの秘境にある。


このスモルニクという土地は、第2次世界大戦後に一時ソ連領となっていた村だが、 1951年にポーランドに返還された。その際にはこの土地の住民はリヴィウに 強制移住させられ、村の建物はすべて解体されてしまい、無人状態での返還だったという。

だが、1791年築のこの教会は無事に残った。 戦前にこの教会が修復されたのは、1921年で、その際には主に屋根をトタンに葺き変える工事が中心であった。51年に信徒たちがこの土地を去ったのち、教会堂は農業共同体の倉庫として利用されるなどして、かえりみられないまま風雪にさらされてきたのであった。
そして1969年に修繕工事が再び行われ、4年後の1973年からはローマカトリック教会として再び利用され始めた。 内部の東側の東側の壁には18世紀末の 多彩装飾壁画が残る。教会自体は国道から400メートル程はなれた小高い丘の上に静けさにつつまれて佇んでいる。


カルパチアの豊潤な自然と静寂の世界の美しさをたっぷり堪能できる秘境にあるといってもよいだろう。建物の東側には19世紀に設置された墓地があり、その向こうには羊たちがのんびりと草を食む。なんとも牧歌的な景色である。

教会堂は木を組み合わせて作られており、入り口部分の前室、身廊、内陣の三層構造で、土台は石造りとなっている。 教会のなかにはいると、天井に角を利用したシャンデリアがあり印象的だが、多彩装飾画以外はその昔を感じさせてくれるものはあまり残っていない。 なんとなく湿気た木のにおいがする。


逆光をいっぱいに受けてしっぽをぴんと上に立てた猫が白黒のふんわりとした毛を震わせながら入ってきて、見学者の足元にまとわりついてくる。「キチキチ…」とポーランド風の呼びかけをするとぐるぐるといいながら怖がる様子もなく近寄ってくる猫だった。



                    

2014/10/03

ヴィエルコポルスカ地方のエレガントなシャトー「ゴウフフ城」

西ポーランド、ヴィエルコポルスカ地方にあるゴウフフ城はとてもエレガントで優美な外観を持つシャトーです。  
                                

ゴウフフ城
-16世紀半ばにブジェスコ・クヤフスキェ県の知事ラファウ・レシチンスキによって築かれたこの城は、もともとは複層構造の城塞でした。
上から見ると4方の角に塔がある四角形をしていましたが、後年になり増改築工事が行われて、1619年にはルネサンス・マニエリスム様式の瀟洒な館となったのでした。

 1695年にレシチンスキ家はこの館を手放すことを決めて、その後150年間の間につぎつぎと所有者が変わりました。そしてこの美しいゴウグフ城は、十分な手入れもされることなく荒れ放題となり幽霊屋敷のようになってしまったのでした。
 それが1856年になって、貴族ティトゥス・ジャウィンスキが新婚の息子夫婦のために購入しました。これを機に大改修工事を行い、ゴウフフ城はかつての優美な姿を取り戻したのです。
ジャウィンスキ家に嫁いできたのは名門チャルトリスキ公爵家の令嬢イザベラ・チャルトリスカ(写真)でした。
                                                       
彼女はパリのランベール館で亡命ポーランド知識人たちの擁護者となっていたアダム・チャルトリスキ公爵の娘でした。洗練されたパリの芸術に触れて育ち、美術に対する深い造詣を持つ美貌の貴婦人であったといわれています。そんな大都会パリからヴィエルコポルスカ地方の田舎にやってきたイザベラは地元貴族たちとの付き合い、風習となじめないことが多く、次第に周囲から孤立して行きます。
 さらに政略結婚であった夫ヤンとの間にも隙間風が吹きはじめたのを感じたイザベラは、少女時代から好きだった美術品のなかに心の癒しを求めるようになりました。美術品の一大コレクションを居城の中につくることに情熱を注いだのです。
 そんな折、ヴィエルコポルスカ地方では一月蜂起が勃発。この蜂起に夫のヤン・ジャウィンスキ(写真右)が関わりをもち、反政府運動の資金を相当提供していたことがプロイセン当局に発覚。彼は死刑の判決を受け、パリへ亡命し5年間の間身を隠しました。
 プロイセンによるゴウフフ城の接収を免れるために、イザベラは城の名義を自分に変更して、女らしい感性がたっぷりと盛り込まれた大改修工事に着手。パリのノートルダムやアミアンの大聖堂の修復を手掛けたフランスの建築家ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュクやジグムント・ゴルゴレフスキのスケッチなどをベースにして10年後の1885年にやっと工事は完了しました。
 ゴウフフ城の美術品の数々は、第二次世界大戦前には個人コレクションとしては世界でも有数の規模といわれていました。1939年の時点では当時の100万ドルの価値があったと言われますが、第2次世界大戦によってコレクションはあちらこちらに流出しまい、現在は古代ギリシャの壺やアンティーク家具調度品を中心とした美術館として公開されています。  
 城の周囲に広がるのは126ヘクタールの広大な英国庭園で、ここにイザベラの墓碑があります。この城の美しさからドラマのロケが行われたり、優雅な雰囲気をたっぷりと味わえるコンサートなども開催されています。美術品への愛に生きたイザベラ・ジャウィンスカという女性に思いを馳せながら、庭園を散策してみるのもいいかもしれません。                                                                                                             
ゴウフフ城美術館
公式ホームページ  
バーチャルツアーはこちらから (←美しい冬の景観が楽しめます)

Działyńskich 1, 63-322 Gołuchów
開館時間: 火曜日~日曜日 10時~16時
アクセス: ポズナンのバスターミナル.からゴウフフまで2時間15分(9:30より1時間から1時間半に1便程度運行) 

2014/09/22

10月は黄金の秋です




秋のポーランドは日本に1か月足したぐらいの感覚でいるといいかもしれません。

ポーランドにいたころベランダで朝顔を育てていたことがあり、花が咲くのを楽しみにしていました。でも、8月も後半になるとだんだん朝の気温が上がらなくなって、つぼみのいくつかが弱々しく開花しただけで、みるみるうちに蔓は茶色くなって枯れてしまいました。
日本の本州よりは1か月以上季節が進んでいることを実感したものです。

ポーランドの秋は「黄金の秋と」呼ばれるだけあってきいろやオレンジ色、赤に木々があっという間に色づいてゆきます。
冬が来る前のほんのひと時の華やぎ…。この季節はベストシーズンの最後に当たりますが、初夏に続いておススメしたい旅どきです。

10月のZakopane(ザコパネ)で



2014/09/17

ショパンの心臓はコニャック漬け?Serce Chopina w koniaku?



パリで1849年に亡くなったショパンの心臓が遺言によって姉に持ち帰られて、現在はワルシャワの聖十字架教会に納められているというのは有名。

『でも保冷ができなかった時代にパリからワルシャワまでどうやって心臓を運んだのか?』

ホルマリンにつけたとかいうような情報もインターネットにはたくさんありますが、ホルマリンだと時間とともにどうしても収縮が避けられないらしく、実際はどうだったのかといつもずっと不思議に思ってはよく調べもせず、忘れてはまた思い出していました。

今月17日に、ネットに「ショパンの心臓は白く、結核の痕があった」という見出しの記事とインタビューの動画が掲載されていていたので、もうちょっと詳しい記事を探してみました。ポーランド語ですがガゼタ・ヴィボルチャのこの記事が詳しいです。


ポーランド文化省が行った記者会見では、ショパンの心臓の状態を調査しようとした専門家が瓶に納められた心臓を確認したところ、保存液は160年も経つのにまだ5mm程度分しか蒸発しておらず、良好な状態にあるためにあえて開封する必要はないと判断を下したとか。循環器系の問題があったショパンの心臓は標準の人より大きめで、高さ16センチ直径12センチの瓶に納められてアルコール(おそらく70%のコニャック)漬けにされてパリから持ち帰られたそうです。160年近くアルコール漬けになっているので、人間の心臓の色(赤い色)とはちがって白くなっているんですね。
保存容器の蓋を閉めるのにワセリンをたっぷり塗りすぎて、それが解け流れて保存液の上にさらに膜となり、液体の蒸発が防ぐ効果があるのだろうと専門家がインタビューで答えていました。

容器に入ったショパンの心臓を実際に人が見たのは1945年が最後で、今年はそれから69年目の御開帳だったわけ。
そうか・・・コニャック漬けね。納得。


2014/09/09

ハーブティーをおみやげに

ポーランドのおみやげに何がいいか困っているなら、ハーブティーが便利だと思います。ちょっとかさばりますが軽いので。私は自宅用なのでビニールの袋をもっていって、詰め替えてしまいます。そうするとかさを取らないので。

日本でもおなじみのミントやメリッサ、カモミールなどおなじみのハーブのお茶がとにかくたくさん!ポーランドではいろんな症状緩和のためにこのハーブティーが家庭でも利用されています。購入はポーランドの薬局やスーパーマーケットで。ベリーやチェリーのお茶もさわやかな酸味があっておいしいです。ちょっと変わりネタとしてはコルステロールを下げる効果のある(?)お茶もありました。本当に効果があるのかな?


クラクフ空港だとKrakowskie Kredensというちょっとオシャレな食料品店が入っているので、市内で買い忘れた方はそちらで買うこともできます。ただし、値段は市内の薬局などより高めです。
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メリッサとカモミールティー

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6種類のお茶が入ったアソートセット
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中身です。

       
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       上はチェリーティー。カップはおなじみのボスワヴィエツ陶器です。

2014/08/20

うっかり?無賃乗車はこわい

両替はどこでするか。

ポーランドには両替屋さんが多いのでどこでもいいなら何の問題もなく見つけることができますが、やっぱりレートが気になりますよね。

どこの都市でも空港や観光客が必ず通るスポット近辺の両替所はろくなレートでないことが多いです。レートがよさそうに見えても、多額の両替なら優遇レートでということが多くて、それをあたかも通常に適用するレートのように示してあるということがありました。


さて、グダンスクになかなかいい両替所があるというので行ってみました。
BIGという両替所です。案内してくれた友人がいうには、この両替所はレートがいい上に、取り扱い外貨も多いから旅行に行くときはいつも利用しているとのことでした。

"Big": Gdansk, ul. Heweliusza 1a   
町の中心からは北に少々歩きますが、レートがよいからか外国人が4,5人列を作っていました。

さて、もう午後も遅い時間になってきました。でも、まだまだ明るいのですよ、夏のポーランドは!この夕方から夜までの時間の長さが旅行者にはうれしいです。
せっかくなのでお隣のソポト&グディニアまで足をのばすことにしました。

三つ子都市と呼ばれるグダンスク、ソポト、グディニアを結ぶ列車はSKM(Szybka Kolej Miejska)といい、関東なら京急、関西なら山陽電鉄といった感じの海の近くを走る電車です。

切符は自動販売機で購入します。販売機の説明は英語でも表示されています。
購入した後は、近くにある自動改札機に差し込むのを忘れないようにしましょう。
  
    近郊線SMK       券売機-ソポト駅

←乗車券販売機の横にあった自動改札機

この改札機に切符を入れないと無賃乗車になってしまいます。

今回、うっかりが原因でちょっとしたアクシデントがありました。
私たちはソポト駅の入り口でグディニアにゆくための切符を買ったのですが、階段を急いで上がるともう電車が駅に入ってくるところでした。

「これ、これにのらないと!」と友人に続いて私も飛び乗りました。

車内にはエアコンなどなくて、とにかく暑いため私は太陽が背になるように進行方向に背中を向けて座りました。私に向かい合うように座った友人も暑さにちょっと疲れた顔。

そのとき、車両の中を歩いてゆく一団を横目で見て友人がつぶやきました。
「ねえ…」
突然、小声で私に何か言います。

「ねえ…あっちへ移動しよう!」

「なんで?」

「カナルが来た!ほら、見たでしょ、今横を歩いていったの。ひとりじゃなくて3人!」

カナルというのは、トラムやバスの検札係を指すスラングです。

「(検札係が)来たのを見て…切符があるから平気だと思ったんだけど、ふとさっき改札機を通すのを忘れてあわてて飛び乗ったんじゃないかって…」

そう、たしかに改札機を通し忘れていました。

「3人来たから最後のひとりはこの車両の検札にとりかかると思ったけど・・・全員後ろへ行ったでしょう。これは天の救い!とにかくできるだけ前へ行ってドアの前で次の駅まで検札がこないことを祈るしかないわ!」

友人、大慌てで立ち上がって電車の前の車両に向かって歩き出しました。
日本の電車と違って乗り口から車内に入るにはもう一度ドアを開けるタイプの車両なのでとりあえず、検札係から見えないように入り口の壁にへばりついて、時折後ろの様子を確認しながらハラハラしながら次の駅を待ちます。

ポーランドでいろんな体験をしたけれど、次の駅があんなに遠く感じられたことはありませんでした。やっと駅に着き、脱出成功。転げるように外に飛び出しました。

無賃乗車の罰金はとても高額です。
今乗ってきたのが、グディニアに行くにはちょうどいい電車だったのがこの一件で途中下車。その場で次の列車を20分待つことになりました。
さっきまで心臓バクバクだった友人はやっと落ち着きを取り戻し、改札機を通して即戻れば同じ電車に戻れていたかもとちょっと残念そう。

「でも20分で220ズウォティは稼げないでしょ」とだれもいないホームで大笑いしました。

みなさんもお気をつけくださいね。

うっかりでも、ポーランド語がわからなくても、みつかれば無賃乗車には問答無用で罰金が科せられますから。

2014/06/28

ヴァドヴィツェにあるヨハネ・パウロ二世の生家































ヴァドヴィツェWadowiceでヨハネ・パウロ二世の生家を訪れました。

町の広場に面したこの家は教会の横にあり、この教会には大きく元法王の肖像が掲げられています。
教会内には聖人となったヨハネ・パウロ二世の血液が聖遺物として納められています。

ヨハネ・パウロ2世の名前はカロル・ヴォイティワといいます。幼いころに信仰心の深い優しい母を失い、父親は「これからは聖母マリア様がお母さんのかわりにお前を見守ってくださるだろう」と言ったそうです。

この生家は現在ミュージアムになっており1階の入口を入ると右手にヨハネ・パウロ二世が子供の頃にこの町に数多く住んでいたユダヤ系住民の立体顔真、かつての商店の様子、そして左側が祖父、両親などについて時系列で一家がわかる展示になっています。
内部は写真撮影禁止なので今回は写真がありません。詳しく知りたい方は博物館のホームページのギャラリーをごらんください。

先に進むとヨハネ・パウロ二世の使用していたスキーウェアーなどの品が展示され、2Fに上がると、母亡きあとに父子が住んでいた部屋の中が再現されています。狭い部屋にやっと人が一人立てるぐらいの間をあけて別途が2台置いてあります。そこで父親と一緒に少年カロルは寝起きしていたそうです。
その後、再び下に降りてゆくと空飛ぶ法王と呼ばれて世界を旅した法王が集めて来た世界の土や、記念の写真、スータンから祭服などが立体的に展示されています。

人間ヨハネ・パウロ二世の偉大さに心を打たれる素晴らしい博物館だと思いました。個人の信条や宗教に関係なくぜひ見学してみたい場所です。

ヨハネ・パウロ二世の言葉を訳してみました。考えさせられることが多いなと思いました。

18世紀の末から今世紀まで続いたポーランド国家の消滅、この歴史の恐ろしい教訓を私たちは忘れることはできません。胸の痛い、実際には«負»の経験であるこの体験は、ポーランドの愛国主義のいわゆる新しい火種となったのでした。私たちポーランド人にとって«祖国»という言葉は観念的かつ感情的な意味を持ちますが、欧州、世界のどこの民も、とりわけ歴史的な大損失を受け、叩きのめされ、危機に直面し続けたことがない国の人間には«祖国»の意味の重さは理解できないことでしょう。


Museum of Family Home
of John Paul II in Wadowice
ul. Kościelna 7, 34-100 Wadowice
ホームページ

チケットはホームページで事前購入可。時間制のために、時間を指定してチケットを買います。最終入場時間は閉館の1時間20分前。